4. 怖いアリ、愉快なアリ、痛いアリ
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人間や家畜を骨だけにする“陸のピラニア”
テレビ映画などでは、「恐怖の人食いアリ」などと、まるで猛獣が人間に襲いかかるみたいな印象を受けるが、こちらが油断さえしなければそう危険なことはない。この人間や家畜を、場合によっては骨だけにしかねないアリは、外国でも「アーミー・アンツ」(軍隊アリ)と呼んで恐れられている。
このアリは大軍が行列をつくって餌探しに出かけるのが特徴で、餌は生きている虫や小動物、それを殺して肉を運んでくる。餌はおもに子育てのためで、付近に餌のあるあいだはその場所に逗留し、餌がなくなると、新しい場所に移動する。つまり、逗留→移動を繰り返しているわけで、完全には巣をつくらない放浪性のアリである。人間でなら、昔の野武士や山賊の集団、とでもいったところだろう。
アリの学問上からは、新大陸(南北アメリカ)にいるのを「軍隊アリ」、旧大陸(ユーラシア、アフリカ)にいるのを「さすらいアリ」と呼んでいるが、どちらも習性は似通っている。まず、一つのコロニーに属する個体数が多いことで、なかには数千万匹に及ぶものがある。個体数が多いのは、女王アリにそれだけ産卵能力があるからだが、実際にさすらいアリの女王は体長5センチ、腹などは人間の親指ぐらいの太さがある。こんなに大きくては結婚飛行に空へ舞い上がることはできないから、最初から翅がない。行進するときは、多くのアリが女王アリをかつぐようにして誘導していく。
雄アリは翅を持っているが、全身に毛が生えていて、クマンバチ(スズメバチ)にそっくり。昔、これが軍隊アリの雄だとわからなかった時代は、クマンバチの一種として分類されていたほどだ。兵隊ありは、東洋やアフリカにいるヒメサスライアリでも、体に不釣り合いなくらいの鋭くとがった牙を持っているが、南米の軍隊アリの牙はさらに巨大で、マンモスの牙のように曲がっている。餌の肉を食いちぎるのに威力を発揮するためである。
軍隊アリの巨大な牙(上) |
熱帯アメリカの軍隊アリ(働きアリ)大きさはさまざまだが、数では小形のものが圧倒的に多く、獲物の肉を食いちぎるのは彼らの役目 |
さて、女王アリは周期的に大量の卵を産み、それが孵化して幼虫になると、成長過程で餌がたくさん必要となる。だから、ほかのアリのように巣を構えていたのでは、すぐに周辺の餌を取りつくしてしまうので、次から次へと狩りの場を求めて移動せざるをえない。歩けない幼虫がいるのに、どうして移動できるかというと、幼虫の頭をくわえて引っ張って行く。寝ぐらは大きな木のうろとか、石の下など適当な場所を選んでビバーク(野宿)する。また翌日は餌を求めて行進するわけだが、幼虫が蛹になると餌は摂らなくなるから、そこにしばらく滞在し、あまり餌探しにも行かなくなる。
アフリカあたりでは、このアリの行列には近寄るな、と警告されているが、なにしろ肉を食いちぎる牙を持っているので、咬まれると痛いし、引っ張って取れば皮膚が切れて血が出てしまう。行く手にある昆虫はもちろん、ヘビ、ウサギといった小動物まで血祭りに上げるし、牛のような大きな家畜でも、たまたまつながれていて逃げられないときは、たちまち骨になるまで食いつくされてしまう。人間も熱病か何かにかかって身動きできない状態でいると、牛と同じ運命をたどることになるから恐ろしい。
1929年の世界大恐慌のときの話だが、金儲けをたくらんだ男が、アマゾンのジャングルにチョウの採集に出かけた。あそこには、この世のものとも思われぬ美しいモルフォチョウがいて、金持ちのコレクターに高く売れるからである。ところが、消息不明になったので捜しに行ってみたら、木の根元に骸骨が横たわっていて、周囲にモルフォチョウの翅が散乱していたという。病気で動けなくなったところを、軍隊アリに襲われたのであった。
南米から中米にかけて、またアフリカのコンゴー(ザイールの熱帯雨林地帯などは、この手のアリに襲撃されて、住居から人間達が逃げ出す例はしばしばある。アリの大行列が住居に向かって行進してきたら、もう災難とあきらめ、大切なものをもって、一時的に家を捨てる以外に方法はない。とにかく何百万匹とか何千万匹では、殺虫剤があっても効果はない。家中の食物が食いつくされるのを、遠くからただ傍観しているだけだが、アリの去ったあとには、家に棲みついているゴキブリなどの害虫も、ことごとく一掃されているのが、まあ唯一の利点、といえばいえるだろう。
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はさみ撃ちや投網式に餌をハンティング
軍隊アリはしょっちゅう移動しているわけだが、その働きアリは、なんと盲目である。ほかの昆虫のように、自分ひとりで生活しているものが盲目では、生きていくことも危ぶまれるだろうが、軍隊アリは大集団で行動しているし、フェロモンを発散するので仲間にはぐれることもなく、目が見えないからといって不自由はないらしい。それに、目がないといっても視神経は残っていて、明暗の区別ぐらいはつく、と思われる。
地面にフェロモンで印をつけながら行進しているのだが、さすらいアリの行列を観察すると、その辺の事情がよくわかる。行列といっても、先頭のアリは常に先頭に立っているわけではなくて、ときどき歩くのをためらったりする。と、後ろから1匹のアリがチョコチョコとばかりに飛び出し、先頭より10センチから15センチばかり先のほうへ駆け出す。ところが、すぐにまた駆け戻って来る。このときは、地面にもうフェロモンの道しるべがつけられているので、後続のアリたちは安心して前進する。・・・・・・こういう小さな停滞と突っ走りの繰り返しで、行列はどんどん進んで行く。
熱帯アフリカのさすらいアリ。上は巨大な雄、下は働きアリで、大きな兵アリから小さな働きアリまで大きさはさまざま |
お先っ走りのアリは、いつも同じアリとは限らず、先頭グループから代わる代わる出ているようである。というのは、1匹がフェロモンを出して道しるべをつけると、続いてすぐまたフェロモンを分泌できないからだろう。時には2匹が別々の方向に飛び出すことがあると、行列はふた手に分かれ、さらにそれが二つにも三つにもなって、ちょうどケヤキなどの木が細く枝分かれしてホウキ状になるように、先端がどんどん広がる場合がある。これは餌を取るときで、獲物をはさみ撃ちにするというか、投網のように包み込むというか、あっという間に周囲がアリだらけになってしまう。だから、このアリの行進を近くに寄って観察するのは危険で、気がついたらアリにグルッと取り囲まれ、体に這い上がって来られてから騒いでも、もう遅いことになる。・・・・・・こうしてハンティングを終えると、再びもとの一筋の行列に戻って、また行進を始める。
東洋の熱帯地方にいる「ヒメサスライアリ」は、人間の皮膚を咬み切るほどの力がないので、まず危険はない。その名のとおり、軍隊アリ、さすらいアリに比べると、ずっと小さいアリだが、ハンティングのやり方がまた独特である。行列の先端が二つに分かれると、それぞれずっと迂回していって、また先端が合流する。軍隊アリのように扇形の広がりでなく、こちらは団扇形とでもいうか、そのふた手の行列に囲まれた中間部が猟場になるわけで、そのなかをアリは縦横無尽に駆けめぐって狩をする。
このヒメサスライアリは、ビバークしている仮の巣から数百メートルも離れた先まで、狩のために遠征する。狩がすむと、再び一筋の行列となって帰って行くが、ジャングルのなかで数百メートルも跡を追っていくのはむずかしい。小さなアリだから、地面の隙間とか石の下などに完全に隠れているが、ハンティングの現場に出会っただけでも幸運、といわなければならない。東洋には、こういうアリの種類が、少なく見つもっても30種以上は棲息していて、数千匹から数万匹の規模のコロニーをつくっている。
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巨大な巣の“農場”でキノコを栽培する
軍隊アリのように動物性の餌を捜しに行進するのではなく、木の葉を取りに行列をつくって出かけるアリがある。その名も、「ハキリアリ」(英語で「リーフカッティング・アンツ」)で、アメリカ大陸のニューヨーク以南からアルゼンチンにかけて、主として熱帯圏に数十種類棲息している。普通のアリは、動植物の蜜を餌にしているのだが、このハキリアリはキノコを巣で栽培することで世界的に有名である。
このアリは個体数が多く、巨大な巣(直径5-10メートル)をつくるが、トンネルも複雑で巣室もたくさんあり、空気穴を何本もあけて温度や湿気調節までしている。この巣から大行列を繰り出すが、目的は植物から葉を切り取り採集して来ることで、葉から丸く噛みきった一片を高々と持ち上げて運ぶ。まるで葉の日傘をさして歩いているようなので、「パラソル・アンツ」と異名もある。コーヒー園がやられるから人間にとっては害虫だが、もとはといえば、彼らの棲息地を人間がどんどん開拓したせいであって、アリにも言い分はあるだろう。
葉を巣内の“キノコ栽培室”に運び込むと、待ち構えていた働きアリが寄ってたかって細断する作業にかかる。細断といっても、われわれの服のポケットの隅からつまみ出すタバコの屑ぐらいに小さく噛み切り、ドロドロになったものを部屋の中央に積み上げる。これがキノコの培養基で、人間がオガクズなどを使ってキノコを培養するのと理屈は同じである。これに菌を植え、キノコを育てるわけだ。
しかし、念のためにいうと、培養基で細菌体を育てるので、あの傘が開いた子実体(いわばキノコの花にあたる)を収穫するのが目的ではない。菌糸体が伸び、広がっていくと、菌胞という小さな玉が無数にでき、これがアリの餌となる。ところが、いっぺんに菌胞ができては餌としては供給過剰になるので、それを考えて生長をコントロールしている。ハキリアリの分泌するフェロモンのアミカシンという物質が、キノコの生長をうまく抑制する働きがあるらしい。
このキノコの菌は特別なものらしく、どのキノコに属するかほとんど正体は不明である。キノコの分類は子実体で行うので菌糸体からはわからないわけだが、ハキリアリにとっては命の綱だから、雌(女王アリ)が結婚飛行に巣から出ていくとき、必ず菌の一部をくわえて飛び立つ。交尾を終えて土にもぐり、巣をつくるが、元の巣にあったような培養基はない。といって、女王アリは葉を取りに出かけたりはしないので、とりあえず大切な菌を、自分の排泄した糞や、不要になった翅を細かくした上に置いておく。そのうち産卵して働きアリが誕生すると、本格的な培養基づくりが始まるわけである。
こういうおもしろい習性を持ったハキリアリはアメリカ大陸だけで、ほかに類似した種類はいない。ある種類のアリがいると、たいていそれに似たような仲間がどこかほかにもいるものだが、ハキリアリの場合は孤立した存在であるのも興味深いところである。しかし、東洋でも、ハキリアリに似た形態の種類がいて注目されているが、これはキノコを栽培しない。どのような発展段階を経て、キノコを栽培するようになったかはわからないが、ハキリアリによっては必ずしも葉ばかりとは限らず、花や枯枝を利用しているものも認められる。なお、シロアリの仲間だが、枯葉を集めて来て菌を栽培しているものがある。東洋の熱帯地方を中心に棲息する種類で、日本では西表島などでも発見されている。
アメリカ南部のフロリダ州あたりでは、このハキリアリが困り物で、よく洗濯物でトラブルが起こる。家に入り込んだアリが、洗濯をしようとしてまとめてある衣料品にたかる。それを知らずに洗濯機にかけると、アリは苦しまぎれに繊維に食いついてしまう。むろん、アリは死んで、胴はちぎれて頭だけがくっついているのだが、これは一つ一つ取るのが容易ではない。といって、そのままにしておけば、ハキリアリには小さなトゲがたくさん生えているので、シーツにしろ、肌着にしろ、とても我慢して使うわけにはいかない。
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ジャンプするアリは専守防衛の知恵から
アリといえば、日本では地面や樹木の表面をせかせかと這い廻っているものしか目につかないが、世界は広いもので、ピョンピョン跳びはねるアリもある。熱帯地方の「アギトアリ」というハリアリの種類だが、そのなかに跳躍の得意なのがいるのである。
アギトアリ、左はアギトアリの頭 |
アギト(あご)の名のとおり大あごを持つアリで、まるでトラップ(罠)のように獲物を捕える。大あごを横一直線になるまで大きく開いて待ち構えているが、大あごの間からは細長い感覚毛が伸びていて、何かがそれに触れると、パッとはじかれたように強く大あごを閉じる。ピシッと音がするほど素早い動きなので、いかに敏捷な虫でも、とうてい逃れることはできないほどである。
東南アジアへ行くと、たいていどこででも、アギトアリの2種類が見かけられる。一つは、体の色が暗褐色で、棲んでいる場所は明るく開けた土地が多く、海岸地帯にも少なくない。もう一つは、体は赤褐色で、おもに森林地帯に分布する。どちらも体長1センチほどのありだが、和名はなく、われわれはいちいち学名で呼ぶのもわずらわしいから、前者を「クロピョン」、後者を「アカピョン」といって区別していた。
クロピョンもアカピョンも、巣は木の根もとや落葉の下などだが、巣を堀り返すと、いっせいにピチッ、ピチッと音を発しながら後方に跳びはねる。ちょうどフライパンの油がはねるようで、真上に30センチ以上も跳び上がるものもいれば、うまく放物線を描いて50-60センチも後方へジャンプするもの、または踏み切りに失敗したのか1-2センチぐらいしか跳躍できないもの・・・・・・と、さまざまだ。
なかには手に咬みつき、毒針で刺してくるアリもいるが、これはかなり痛い。しかし、ほとんどのアリは、目まぐるしくピョン、ピョンと四方八方に跳びはね、あっという間に、みんなどこかに隠れて姿が見えなくなってしまう。アギトアリというのは、巣を外敵に襲われると、このように巣を捨てて、姿をくらませてしまう習性が特徴になっている。
このアギトアリの跳躍の瞬間を観察するために、容器に集めて持ち帰ったことがある。― 開いた大あごをピシッと音がするほど閉じる。同時に頭を地面に打ちつける、その反動で後方に跳ぶ。こういう順序のようだが、なにしろ一瞬の早業なので、何度も何度も目をこらして見つめたが、詳細はわからなかった。高速度カメラを使って撮影すれば、興味あるアクションの始終が解明できるかもしれない。あざやかなジャンプに比べると、着地は落っこちる感じで、背中から落ちるもの、横向きに落ちるものと、格好はあまりよくない。
アギトアリの種類は、なぜ、このような変わった跳躍をするのだろうか。おそらくセンザンコウやアリクイといった蟻食動物(現在では生息数がごく少なくなっている)からコロニーを守るために適応として進化した習性、と考えられている。アギトアリのコロニーはあまりおおきくないので、いくら毒針を振り立てて大きな蟻食動物に立ち向かったとしても、たちまちコロニーの大部分は食いつくされてしまうに違いない。無駄な抵抗より意義のある撤退で、跳躍しながらさっさと逃げ隠れてしまったほうが、コロニーの生き残れる確立は高いわけである。
アギトアリの種類は後方跳躍性だが、前方跳躍性のアリもある。南米産のギガンティオプス、熱帯アジア産のハリアリで巨大なあごを持つハルペグナートス、オーストラリア産の強烈な毒針で知られるキバハリアリ類の一部、といった種類である。
キバハリアリのジャンパー |
キバハリアリの中・小形種のなかには、巣が荒らされたりして興奮すると、前方に5-10センチ跳ぶのがいて、現地でも「ジャンパー」という名で呼んでいる。こういうアリの巣を調べるときは、ちょっと油断すると手に跳びつかれ、あっという間もなく刺されている、という経験を何度もしている。このキバハリアリの場合も、やはり蟻食動物に対する適応、と考えたほうがわかりいいだろう。
前方跳躍性のアリは、一般に肢の腿節(人間でいえば股)の部分の横断面が丸くて、筋肉もよく発達している。また、大きな複眼を持つものも特徴だが、これは距離や目標を把握するために発達したものであろう。熱帯地方のアリには、後方・前方跳躍性のほかに、歩いている途中でピョンと、体長かその2倍ぐらいの距離を跳ぶ種類がある。このアリは、まだ誰にも記録されていないが、とにかくアリの跳躍には各種の発達段階があることがわかる。
さて、日本には、アギトアリの種類が1種だけ、屋久島(鹿児島)以南に分布しているが、これが跳びはねるのは熱い季節に限られるようである。台湾に行くと同じ種類のアリがいて、これも時たま跳躍することがある。日本には、大量にアリを捕食する蟻食動物がいないので、跳躍するアリもいないのかもしれないが、それでもクマやキツツキ科の鳥類は、かなりたくさんのアリを常食としている。
あの大きな体のクマが、なぜアリのような小さな昆虫を食べるのか不思議に思っていたが、幸いツキノワグマを子どもの時から数年間、子ども同様に育ててきた岩手の方から話を聞く機会を得た。・・・・・・クマがアリを好物なのは本当で、巣を発見すると、前足を巣の上にドスンと置く。そして、前足の甲の上に這い上がって来るアリを舌でなめ取るが、決して足の裏の方はなめない。また、たった1匹のアリでも指でつまんで与えると、舌を丸めて突き出し上手になめ取る、という話だった。
クマが好んで食べる冷温帯のアリは、コロニーが大きいところから、少しぐらいクマの犠牲になっても、コロニーが絶滅することはない。跳躍するアリがいないのは、そういう事情とも関係があるのかもしれない。
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すごんで見せたり爆発するアリ
アリ自体は小さな昆虫だから,せいぜい咬む,刺す,毒液(蟻酸)を吹きかけるぐらいの“武器”しか持っていないが,なかには威嚇して見せるアリもある.だいたい音を出すアリというのはめずらしいが,「クシズメハリアリ」がそれである.獲物狩りに行列をつくって歩いているのが,ちょっと突つくと,いっせいにジーッという音を発し,警戒の構えをとる。コオロギのように体をこすって音を出すらしい。
やはり熱帯に棲むトゲアリの仲間だが,葉の上で餌をあさっているところに近づくと,とたんに尻をバイブレーターのように振動させる。音そのものはごく小さいが,その振動が葉に伝わり,葉も同時に振動するから,かなり大きな音になる。小さな敵なら,びっくりして逃げ出してしまうだろう。
私がボルネオの森林で見かけた黒いアリは,近づいたとたん,さっと尻を直角に上げた。毒液を噴射するために尻を上げるアリはいるが,このアリは尻を持ち上げて,「どうだ!」といわんばかりに腹を見せた。なんと,腹の下側の中央部分は真っ赤である。ピカピカした黒い体に丸く赤い色となればテントウムシを思わせ,鳥も悪臭のあるテントウムシは敬遠して食べない。つまり,このアリはほかの虫に化けて(擬態),身を守っているわけである。
私はまだ見たことがないが,西ドイツのマシュヴィッツ教授がマレーシアの“爆発するアリ”について報告している。この教授はアリの研究に16回もマレーシアにおもむき,ほとんど住みついているような人だが,たまたまジャングルで,珍種のアリを発見した。そのアリをつまんだとたん,パシッと爆発したのだが,それは揮発性の成分を溜めておいて自爆するものらしい。腹が割けて,においをまき散らし,仲間に知らせるわけで,人間から見れば犠牲的精神の発露ということになる。
私が見たものでは,“泡を吹くアリ”がある。捕まえようとすると,尻から小さな泡をブクブクと止めどもなく吹き出して,しまいにはそのアリの姿も泡に隠れてしまうほどであった。時代劇の忍者は敵に火薬の玉を投げつけ,火と煙にまぎれて遁走するが,このアリは泡が目くらましの護身術になっている。たいていの敵は泡を気味悪がって,捕まえるのをあきらめてしまうのではなかろうか。
とにかく熱帯地方に行くと,このようにわれわれの知らないめずらしいアリがどれだけいるかわからない。防衛とは関係がないが,私が実見した“お菓子のにおいがするアリ”をご紹介しておこう。
これまで,あちこちへ出かけて,めずらしいアリを見つけているだけに,多少めずらしいぐらいでは驚かないが,まったく驚いたのが2種類ある。一つはバター・クッキーそっくりの香りがするアリで,どう嗅いでみても,甘くて,バターのいい香りがする。私の嗅覚だけかと思って,同行の人にも嗅いでもらったが,誰もが「まさしくこれはバター・クッキーだ」という。上等のクッキーのにおいで,まったく不快感はない。もう一つは,チョコレートのにおいがするアリで,これも食欲をそそるにおいがして,何度嗅いでみてもチョコレートそのものに思えた。
いずれもフェロモンの働きで,そのにおいが仲間どうしの信号になっているものなのだろう。日本でにおいのするアリといえばクロクサアリだが,これの「クサ」は「くさい」という意味なので,あまり快いにおいとはいえない。強いていえば,香辛料のサンショウに似ているぐらいのところだろう。われわれの採集では,アリを吸虫管という細長いガラスの管を使って吸い取ったりすることがあるが,どうしても多少は口にアリのにおいが入ってしまう。ちょっと吸い込んだだけで,のどがヒリヒリするアリがいるほどだが,お菓子のようないいにおいのするアリは,本当にめずらしい。
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巣の穴を石頭で栓をして防衛するアリ
一般には,アリは地中に巣をつくるように思われているが,大ざっぱにいうと,日本より北では地中,南では地上の樹上などにつくる種類が多い。日本でも,北海道のような寒い地方や高山地帯に行くと,木に巣をつくるアリはいないが,関東から南の西日本でよく見かける「ヒラフシアリ」は,かなり高い木のてっぺんに巣をつくっている。
そうかと思えば,巣をつくらない,いわば宿無しのルンペンみたいなアリもいる。どこでも見かける「アミメアリ」で,人間のルンペンならば,しばらく決まった駅の地下道とか公園などに定住しているが,このアリは木の空洞,枯葉の下,石の下と放浪する性質がある。雨が降り続いてそういう場所が暮らしにくくなると,人間の住宅に侵入することもあるが,畳にまで上がってくることはない。このアミメアリは熱帯系のアリだが,熱帯地方に行けば,こういうタイプのアリは,別にめずらしくもない。
温帯から熱帯にかけて,枯木や枯枝に巣をつくっているアリは多いのだが,日本では,関東以南でざらに見かける「ヒラズオオアリ」が枯枝に棲んでいる。枯枝といっても箸のように細いもので,場所は日あたりの悪い森や林の陰である。巣の出入り口は自分の頭にぴったりのサイズだから,これより大きい他のアリや虫は侵入できないが,おまけに兵隊アリが内部から頭を突っ込んで,厳重に栓をしている。ヒラズオオアリの頭は斜めにそいだような形で,しかも,カブトムシのように硬くできている。
これでは,どんな外敵もちょっと歯が立たず,まさに万全な備えであろう。だが,仲間が外から帰って来たときは,サッと頭を引っ込めて,「さあ,どうぞ」とばかりに入り口を開けてやる。何らかのサインというより,同じ仲間の発するフェロモンをかぎ分けて,ガードを解くしかけなのだろう。
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長男が弟を次々に殺し雌を独占するアリ
たいていのアリは,多い少ないは別として体に毛が生えているが,この「ハダカアリ」には毛がない。あってもごく短いものが体にペタッとくっついているようなので,学名カリディオコンディラ・ヌーダ。ヌーダは「ヌード」の意味である。熱帯地方にはかなり分布しているが,日本ではこれに似た種類が沖縄,小笠原などの暖かい地方,それから高知,南紀,伊豆といった夜間も気温が下がらない海岸地帯にいる。
伊豆半島でいえば,私の知っている範囲では,下田から河津あたりへかけて。それも,木や草が生えている場所ではなく,土から砂浜に移行する境目とか,人の通らない砂利の多い道とか,常識から考えて昆虫などがいそうもないところに巣をつくっている。巣は浅く,小規模なものだが,だいたいハダカアリのコロニーを形づくっている働きアリの数は少ない。
だが,なぜこんな荒地に棲んでいるのだろうか。ハダカアリは後から入って来たアリで,すでに先住のアリが目ぼしいところに巣を構えている。わずか1.5ミリから2ミリ,大きくても3ミリ程度のアリだから,激しい生存競争には堪えられないのだろう。人間世界で,後から入植した移民が不利な土地条件のところでなければ住めないのと,事情は似通っている。つまり,ほかのアリが巣をつくっているような場所を避けて,細々と生活しているわけである。
ハダカアリの種類で「キイロハダカアリ」というのが,沖縄や小笠原に棲息している。かなり暖かい地方でないと生活できないらしく,本州,四国,九州では,発見されていない。このアリが変わっているのは,雄アリが働きアリにそっくりな点である。ほかのアリの雄と違って,翅がなく,頭や目もおおきくないし,触角も立派ではない。ちょっと見たところは,働きアリと区別がつきにくい。だから,むずかしく「職形雄」(職=働きアリの形をした雄)と呼んだりしている。
この雄アリは蛹からかえると,先に産まれたものが,後から産まれてくる雄アリを次々に咬み殺してしまう。長男が弟を葬り去るわけで,巣には最初の雄アリ1匹だけになる。普通のアリは結婚飛行でもわかるように,雌の何十倍も何百倍も雄の方が多い。だから,われわれ研究者が採集していて,「なぜ,キイロハダカアリの雄は,めったにしか見つからないのか」と,久しく疑問であった。それが飼育してみて,初めて雄がほかの雄を粛清するという性質が最近になって判明したのである。どうしてこのりょうな習性があるのかは,まだよくわからない。
ただ雄には翅がないから,結婚飛行をして雌(これには翅がある)と交尾はできない。となると,雄の数が多ければ,巣内で雌をめぐって凄絶な闘争をせざるを得ないので,最初から雄1匹しか生存を許さないようになった・・・・・・と,考えることもできる。キイロハダカアリの交尾は,ほかのアリが結婚飛行で必死になって雌を追い求めるのと違い,やおら雄が雌の上に乗っかって,腹部をバイブレーターのように振動させる,というものである。
このキイロハダカアリの雄の牙は,かなり長く,先が鎌のようにとがっている。ほかのハダカアリの雄も鋭い牙を持っているが,キイロハダカアリほどではない。キイロハダカアリの種類はインドで最初に採集されたのだが,その発見者フォーレルは,当時(1890年)の有名なアリの研究者である。しかし,彼が発見したキイロハダカアリの働きありは,従来のハダカアリと共通している特徴から同属と認めたが,雄アリのほうはあまりにも異なっていることから,別の属と見なして命名した。その雄アリの習性がわかったのは,ごく最近のことであるが,めったに採集できないアリだけに,まだまだ不明の点は多い。
このキイロハダカアリのような“兄弟殺し”は特別な例で,同一の巣で生活しているアリはお互いに仲よく,それぞれの分業に従って働いている。闘争することがあるとすれば,餌の獲得をめぐって,ほかの種類のアリと縄張り争いをするぐらいである。これはコロニーの生存をかけているだけに,命がけで闘うことが多い。ところが,山にいるクシケアリは,敵を咬み殺し,勝って帰って来たアリを,仲間が寄ってたかって殺してしまう。いわば“救国の英雄”を,そんなバカな・・・・・・と,人間には思われるが,敵と組み打ちして敵のにおいを身につけてきたアリは,もう仲間として迎えるわけにはいかない。においで識別しているアリの悲しい宿命なのである。
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糸を紡いで巣をつくるアリたち
アリの巣といえば,地中深く穴を掘ったもの,と思われがちだが,地上に巣をつくっている種類もかなりあることを前にも述べた。日本でも,枯枝の空洞,枯れた竹の内部,草の穂の芯などに棲んでいるアリが認められるが,こういうアリは決して地中に巣をつくらない。
地上に巣をつくるアリのなかで,英語でいうシルク・ネット(絹の巣)の名のとおり,糸を張った大きな巣をつくるものがいる。主なものは3種類で,ツムギアリ,シリアゲアリの一部,トゲアリの一部である。
ツムギアリの巣作り |
「ツムギアリ」は熱帯地方のアリで,中国南部,フィリピン,インドシナ半島,マレーシア,インドなどに棲息している。木の葉を糸でつづりあわせた球状の巣は,大きいものならラグビー・ボールぐらい。巣を調べてみると,葉と葉を細い糸でつづっているだけでなく,内貼りまで施している。人間の住宅でいえば,木やコンクリートの壁面に壁紙やクロースを貼るように,木の葉を糸でコーティングした,そういう部屋がいくつもある。
アリが糸を吐いて巣をつくるとは・・・・・・と,昔は不思議がられたが,じつはアリのなかには,幼虫から蛹になる前に,糸を吐いて繭をつくるのがいる。ツムギアリもその種類なのだが,ここでは幼虫が“糸を吐く機械”で,働きアリが“紡ぎ手”の役割をする。働きアリが糸を吐く段階にまで成熟した幼虫をくわえて葉の一点に押しつける。そこに糸が固定されると,スウッと引っ張って別の葉に・・・・・・といったぐあいに,次々と葉を糸でつづっていく。もし葉と葉が離れすぎているようなら,ほかの働きアリが葉をグッと引き寄せ,間隔を縮めるようにして手伝うからおもしろい。
ツムギアリ |
このツムギアリの存在がヨーロッパに知られたのは,かなり古い。1769-1771年,イギリスの有名な探検家,キャプテン・クックは,金星の太陽面通過観測のためタヒチ島におもむいたが,その帰途,オーストラリア東海岸を10ヵ月もかけて北上した。一行は科学的な探検隊だから,多くの科学者が加わっていたが,そのなかの一人,バンクスという生物学者が珍奇な動植物を採集し,今も大英博物館にバンクス・コレクションとして残されている。
そのコレクションには,アリが5種類ほどあるが,オーストラリアのツムギアリが入っている。頭と腹が美しい薄緑色をしていて,だいたい緑色のアリ自体がめずらしいが,バンクスはその巣づくりにも驚いたらしく,日記の数ページを費して,このアリの生態をくわしく書き残している。
ツムギアリはオーストラリア(北部)のほか、東南アジア、アフリカと、世界中に3種類棲息している。このアリのもう一つの特徴は、細身で弱々しげな感じなのに、すぐ咬みつくことである。歯が鋭く、とがっていて、体をねじるようにして咬みつき、蟻酸を注入するから、大の男でも「ギャーッ」といって逃げ出すほど痛い。
戦争中、東南アジアに行っていた人の話だが、食糧不足でおなかを空かせた日本の兵隊たちが、農家の庭へ果物を盗みに来る。白昼堂々、木に登って取っていると、農家のおばあさんが棒を手にして現れた。棒で兵隊を追い払うのかと思えば、やにわに木の幹をポンポンと叩いた、すると、木に巣食っていたアリが怒って兵隊に降りかかり、兵隊は悲鳴をあげて木から転げ落ちた、という実見談である。そのアリがツムギアリであることはいうまでもない。
果樹に巣をつくっているツムギアリが、必ず果物泥棒を撃退してくれるとは限らないが、害虫類をこまめに退治してくれるのは確かである。だから、すでに1千年も昔の中国の書物に、柑橘類の多い南部で、ツムギアリを害虫駆除用に利用した記録がある。おそらくよそから巣をそっと運び、果樹に結びつけるかしたのであろう。殺虫剤も何もなかった昔は、これも人間の知恵だが、この現代でも、東南アジアの奥地に行くと、相変わらずツムギアリを害虫駆除に使っているし、また巣を捜してきて売り歩く者がいる。
・・・・・・さて、ツムギアリ以外に糸を紡ぐ2種類、「シリアゲアリ」と「トゲアリ」には、そうおもしろいエピソードもない。シリアゲアリの巣は、高い木の上に、まるでラグビー・ボールにそっくりの巣をつくるが、材料は枯葉の切れはし、枯枝などいろいろ。それらを糸でつづりあわせて、やはり内貼りを施している。このアリは小さなアリで、台湾にはチキュウギシリアゲアリというのがいる。なにぶん小さいから、一つの巣に10万匹も棲んでいて、怒らせでもしたら大変なことになる。
トゲアリの巣は一段と小さくなって、ソフトボールぐらいからゆで卵を半分に割ったような大きさのものまで。なかには木の葉の裏に、糸だけでつづった巣をつくるものもある。日本では、沖縄以南にクロトゲアリというのがいて、東南アジアまで分布している。いずれにせよ、幼虫が糸を吐くのは繭から蛹になって、自分の身を守るためなのだが、それが巣づくりの材料に利用されてしまうわけである。これらの糸を紡ぐアリたちの巣は、そう堅牢なものではないが、高い木の上にあるし、攻撃的な働きアリに守られているから、めったに外敵に襲われる心配はない。
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アリも“麻薬”に溺れると怠けるようになる
アリと鳥とは直接の関係はなく、むしろアリが鳥の餌として食われてしまう場合が多いだろう。ところが、鳥がアリの“おこぼれ”をねらって、アリにくっついて歩いているのがある。軍隊アリの種類でエキトンというアリは、ブラジル北部に棲んでいるが、その行列の上を低く飛んで、跡を追っている鳥がいる。アリの大軍が追い出す虫などを素早く失敬しようと待ち構えているわけだ。
“おこぼれ”頂戴組には「好蟻性昆虫」という変わった虫たちがいる。アリの行列にまぎれ込むカブトムシ、カメムシ、ハエなどの仲間で、この手の昆虫は世界中に数千種はいるだろう。アリの大群のなかに入っていて、よくアリの餌にならないものだ、と不思議に思われるが、形がアリの“そっくりさんに変身しているものや、アリをなだめるようなフェロモンを分泌して、悠々とアリの仲間入りをして、餌をご馳走になっているわけである。つまり、アリといっしょに生活できるように進化しているのだが、この種の昆虫についての研究は、日本ではまったく手つかずの分野となっている。
鳥でいうと「アリ浴び」という現象がある。外で飼っているニワトリには砂浴びの習性があり、砂に体をこすりつけて、羽についている羽虫を取るのだが、それと同じように、アリがたくさんいるところへ行って、アリに体をこすりつける。すると、アリは怒って、ヤマアリの種類なら蟻酸を噴射、それが羽虫の駆除剤になるわけである。こういうアリ浴びの報告は、日本を含めて各国からあるが、ただ実際に観察できる機会は少ない。鳥は近づくと、すぐ逃げてしまうし、遠くからでは砂やらアリやらわからない。後でその場へ行ってみると、アリがたくさんいるので、アリ浴びをしていたのか、と初めて判断できる場合が多い。
かってヨーロッパに「アリ風呂」というのがあった。ヨーロッパには1.5メートルぐらいの塚をつくる「アカヤマアリ」がいるが、それをたくさん捕まえてきて袋に入れる。そのままでは蟻酸が強過ぎるから熱湯処理ぐらいはしたかもしれないが、それを風呂に入れるわけである。特効薬のなかった昔は、リュウマチや通風に効く、と信じられたのだろう。
奇抜なミストリウムヨーロッパのアカヤマアリ(上から女王アリ、発育不良で奇形の女王アリ、働きアリ) |
アカヤマアリの繭をドイツの薬局で売っていた話は、別のところでしたが、香料の原料として使われていたこともある。これはアカヤマアリ自体ではなく、その巣から採取した松ヤニである。このアリは、カラマツなどの針葉樹林帯に棲み、細かい枯葉を積み上げて塚状の巣をつくる。そのとき松ヤニもいっしょに混ぜてしまうが、松ヤニは真夏の日ざしや巣の発酵熱で溶け、下に溜まって固まる。これを「チューリンゲンの香料」(チューリンゲンは東ドイツ南西部の地方名)と呼んで珍重したという。松ヤニは芳香のある樹脂だが、アリの巣から採取したものは、山の気を感じさせるようなすがすがしい香りがするそうである。
アカヤマアリが森林の害虫駆除に大いに役立つことは別のところで述べたが、それだけヨーロッパでは手厚く保護され、クマなどの外敵(といっても、実際には人間が多い)に襲われないよう巣に檻をかぶせているところもある。日本では、北海道のエゾアカヤマアリを除くと、このアリの働きはそう目につかない。本州なら山岳地帯の中腹以上に棲み、繁殖力も弱いので、有効に利用できるほどではない。
このアリなどの巣を調べてみると居候の昆虫が多い。つまり共生しているわけだが、居候からしてみれば、アリの巣で生活していれば外敵に襲われる心配はないし、そのうえ巣内は夏涼しく、冬暖かく、大変快適である。こういう昆虫はアリの行列にまぎれ込んでいるものと同様、アリの巣で生活できるように進化してきているのだが、なかにはアリの巣以外では生きていけない種類もある。その一つに、甲虫類の一種、ハケゲアリノスハネカクシというのがある。
奇抜なミストリウムアリを魅了する「ハケゲアリノスハネカクシ」 |
この虫の腹部には、金色の光った毛が刷毛やふさのようにたくさん生えているが、毛の根元から蜜のような液体を分泌する。その液はアリにとって美味なだけでなく、どうやら麻薬みたいに恍惚とさせる何かがあるらしい。アリは液を吸わせてもらう代償に、口移しで餌を与えたりしているが、巣内にハケゲアリノスハネカクシが増えると、液を吸うのにどのアリも夢中になってしまう。大切な子育ても放りっぱなしにするほどだから、よほど魅力があるに違いない。その結果、成長期で食べ盛りの幼虫は餌不足で発育不良となり、産まれて来る雌アリに羽がない、という状態になる。つまりは奇形児で、そのような雌アリと働きアリの中間的なアリが増えては、コロニーにとって存亡の危機となるわけである。
日本のアカヤマアリでは、このような現象は認められないが、やはり甲虫類でヒゲブトアリヅカムシ、沖縄のエンマムシがいて、いずれもハネカクシと同じような金色の毛と液で魅惑している例がある。また、シジミチョウの種類の幼虫との共生関係も知られているが、これも幼虫の分泌液をねらって、アリが餌を与えて養っている形である。ほかに、まったくギブ・アンド・テイクはないが、巣のなかをうろうろして、アリの食べ残しをあさっているような昆虫もかなりいる。
アリヅカコオロギというのは“押しかけ”的な虫で、共生というより勝手に住みついているものである。普通のそこら辺で鳴いているコオロギに比べると非常に小さく、わずか2-3ミリ程度。親に生長しても翅が生えないから、翅をこすって鳴くことができないのは当然である。つまり、アリに寄生しているのだから、飛ぶ必要も鳴く必要もないわけで、アリにへばりついて分泌物をなめる・・・・・・アリどうしが口移しで餌をやりとりしているのを、さっと横から隙をねらっていただいてしまう。といって、自分のほうからはアリの役に立つことは何一つできないから、アリと友好につきあえるはずがない。まるで泥棒猫のように、巣内をこそこそ歩き廻っている。いくら虫にしても情けない存在だが、考えてみれば、人間社会にもこのようなタイプがいないこともないようだ。
アリの体をなめる「アリヅカコオロギ」 |
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アリはなぜ方向音痴にならないのか
ミツバチ、伝書バト、ツバメなどの渡り鳥、サケやアユなど、自分の生まれた場所から遠く離れても、間違わずにふたたびそこへ帰ってくる。これを帰巣本能(帰巣性)と呼んでいるが、アリも巣から餌を探しに出かけて、また確実に巣へ戻ってくるのが、昔から不思議に思われていた。アリはツバメやサケのように何百キロ、何千キロも旅ができるわけではないが、あの小さな体からすれば、たとえ数十メートルの距離でも、人間の大きさに換算すると、何十キロにも相当するだろう。
人間の場合は、これらの動物のように優れた帰巣の能力はないが、それでもかなり酔っぱらっていようと、考えごとにふけっていようと、駅からわが家への道を間違えることはない。街並みをはっきりと視覚で捉えていなくても、足は自然とタバコ屋の角を曲がり・・・・・・というようなことは、よくあることだ。これはたとえ無意識にしても、タバコ屋という目印を頭や足が覚えているからである。
では、そういう便利な目印というものを認識できない動物は、どうなのだろう。本能の一言で片づければそれまでだが、そこにはしくみがある。アリの場合は、これまでにもたびたび出てきたフェロモンが、いわば道しるべになっていて、そのにおいを頼りに帰ってくる、とよく説明されている。しかし、フェロモンだけで、しくみは解明できないようだ。
アリには、目もあることを忘れてはいけない。それも、アリはハチの仲間だから、複眼が一対と、単眼が3つ三角の形についている。もっとも雄と雌のアリには単眼があるが、働きアリにはない(まれに働きアリに1つ、または3つついているものもある)。複眼というのは多数の小眼から成っていて、トンボのは万単位であるが、アリは数えるほどしかなく、痕跡だけになっているのや、まったく小眼がない種類もある。
われわれが家の近所でよく見かける「クロヤマアリ」や「クロオオアリ」は、草も生えていない地面や舗装された道路の上を歩いている。この種類のアリは体も大きいから目も大きく、目をよく使って行動している。といっても、巣に入ると、そこは真っ暗だから、目は頼りにならない。なかには夜行性のアリもいるし、森のなかで落葉の積み重なった下を、その隙間を縫うように歩いているアリもある。だから、アリはフェロモンと目と適当に使い分けながら歩いている、と考えたほうがいい。
クロヤマアリの餌の口移し |
夜行性の「アメイロオオアリ」は、目がちゃんとあるのだが、夜になって照度ゼロでないと出て来ない。照度がゼロといっても完全な闇夜ではなく、棲んでいるのが南関東以南の広葉樹林で木の葉の陰になるから、多少の星明かりや月明かりなら、松の幹の樹皮裏や朽木の空洞にある巣から姿を現す。あちこち餌をあさって歩くが、夜が白みはじめると、さっさと巣にひそんでしまう。こういうアリはどこの国にもいるが、オーストラリアで私が見たのでは、至るところに砂が噴火口のように盛り上がった巣を見かけるのに、アリの出入りがまったくない。ところが、ある晩、アシナガアリの種類がその巣から沸くように出てくるのを見た。やはり立派な目をもっているのだが、このアリも夜行性だったのである。
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アリの目は大きくてもひどい“近眼”
トンボなどは頭全体が目ばかりのようだが、だいたい昆虫は体の割に大きな目(複眼)をもっている。だから驚くほどいい視力があるように思えるが、わりと目のきくミツバチでさえ、人間の視力の100分の1ぐらいしかない、といわれている。アリも近くがぼんやり見える程度だが、形の認識はできるらしいし、トビやワシのように、動くものを離れたところからキャッチする能力はあるようだ。
もし人間がこの程度の視力しかないなら、普通に社会生活を営むのも不自由だろうが、アリはひどい“近眼”である代わりに、人間にはないすばらしい能力を持っている。一つは「太陽コンパス」である。餌探しに1匹ずつ巣から出かけるアリは、別に目標があるわけではなく、あちこちと歩き廻る。そのとき、太陽光線が来る方向を複眼のいくつかある小眼で検知しながら、自分の居場所を定位(オリエンテーション)する。つまり、太陽が移動方向を教える羅針盤(コンパス)の役割を果たしてくれるので、太陽コンパスと呼んでいる。しかし、渡り鳥なら太陽の位置を一定の角度で捉えながら真っ直ぐに飛べようが、アリはコースも何もなくうろうろ歩くので、そのつど太陽との角度は目まぐるしく変わってくる。それをいちいち記憶できないから、たぶんその角度を神経に積算していって、帰りは積算の逆をたどって戻って来るのだろう、と考えられる。薄曇りの日でもアリが活動するのは、複眼で最も明るい方角、つまり太陽の位置を検知できるからである。複眼を構成する小眼は少しずつ角度が違うから、偏光でも修正して、定位を保っていけるのだろう。
太陽コンパスは1匹で行動するアリには必要だが、行列をつくって餌捜しに行くアリの場合には、フェロモンを道しるべにするから必要ない。帰りもさっきつけていったフェロモンを頼りに巣に戻れるわけである。だから、大行列を繰り出す軍隊アリの種類のように、働きアリが盲目であっても、いっこうに不自由はない。
太陽コンパスのほか、ありは「筋肉記憶」「地形記憶」といった能力も使いこなしている。筋肉記憶とは、どのくらいの距離を歩いたか、筋肉で記憶していることである。人間なら、「駅から20分近く歩く」とか、「1時間も歩きずめだった」というように距離より時間で考えることが多いが、アリは筋肉の運動から直接に距離を測定できるようだ。もう一つの地形記憶は、何もない平坦な地面でも、アリにとっては山あり谷ありである。われわれから見れば小さな石ころが、アリには巨大な岩石に映ることを考えてもれえばわかることだろう。
こうして太陽コンパス、筋肉記憶、地形記憶などの能力を駆使して巣の近くまで戻って来れば、そこには見覚えのある草木などの目標物もあるし、さらに近づけば仲間のにおい(フェロモンを嗅ぎ分けることもできて、間違いなく巣にたどり着けた、ということになる。
おもしろいのは、こういう能力を使って引っ越しするアリがいることである。「クロヤマアリ」はかなり深い巣を掘っているが、ときどき新しい巣を見つけて引っ越しをする。新しい巣を見つけたアリが戻って来ると、働きアリを1匹くわえて、新居へ案内する、アリどうし歯と歯で咬み合わせ、案内されるほうの働きアリは、体を丸くしてぶら下がる格好で連れていかれる。ぶら下がっているほうは、頭が下になっているから、視野が逆さになっているところに注目されたい。
つまり、運んでいるアリに左から太陽があたっているのなら、ぶら下がっているアリには、右からあたっている。すなわち帰り道の視覚を体験しつつ運ばれているわけで、新居に着いて放されても、ひとりで迷わず一直線に古巣へ帰ってこられる。戻ってきたアリは、別のアリをぶら下げて新居へ・・・・・・というぐあいで、最初の2匹が次には4匹に、4匹が8匹に、と級数的に増えていって、何回か往復を繰り返すうちには引っ越しが完了してしまう。
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雄の目が大きいのは交尾のつごうから
単独行動型のアリにとっては、視覚が頼りになっていることがわかったと思うが、集団行動型のアリに大切なフェロモンについて、ここで述べておくことにしよう。フェロモンは同種の動物が個体間のコミュニケーションのために分泌する物質だが、アリには特にいろいろな目的のフェロモンが多い。アリの体を顕微鏡で見ると、口の先から尻まで、小さな穴が至るところにあるが、この穴から各種フェロモンを分泌する。
アリは働きアリが翅を失い、地表を這い歩くようになってから、いろいろのフェロモンを必要とするようになったのだろう。親戚筋のミツバチなどは、巣内ではフェロモンは必要でも、空を飛んでいるときには必要はないはずである。だが、地面を歩くアリは自分が迷わないためにも、また仲間をガイドするためにも、道しるべフェロモンという信号が必要になる。
ところで、このフェロモンは揮発性の物質なので、いくらあちこちにつけておいても風に吹き飛ばされてしまうのではないか、と思っていた。たとえば、誰かがタバコを吸っている。完全な無風状態というのはめったにないから、タバコの煙は空中にすぐに拡散してしまうが、アリのフェロモンも同じではないだろうか。しかし、専門家の話しによると、かなり風があるようでも、地面すれすれの地帯は風速ゼロだという。それに、アリからすれば、人間の目には砂粒でも岩石ゴロゴロだから、そこにつけたフェロモンはかなり長もちするわけである。
それにしてもフェロモンは揮発性の物質だから、いつかは自然に拡散して消えてしまう。これに比べれば、自分の目で見るほうがよほど確かなようだが、アリの視力は前に述べたように、大きな目のわりによくない。だが、その視力とフェロモンをフルに活動させるのが、結婚飛行と交尾の時である。
雄アリは雌アリよりも体はずっと小さいが、目のほうは、アンバランスなくらいに大きい。複眼も単眼も大きいが、これはアリの交尾がたいてい雌の後を雄が追う形なので、特に雄の目が発達しているわけである。むろん、交尾には雌が雄を誘引する性フェロモンを分泌するから、視覚だけで雌を追跡するのではない。普通はたいてい雌が巣を飛び出して、それを雄が大挙して追うのだが、「ミツバアリ」の場合は、早朝の小雨が降るなか、雄が先に巣を出て、空中で蚊柱のようにワンワンと群れ飛んでいる。その蚊柱目がけて雌が突入、雄の1匹がアタックして、地面に下りて交尾を行う。
「アメイロアリ」の交尾も変わっていて、雄のほうが先に巣を出ると、地面の石の上などに1匹ずつ陣取る。つまり縄張りをつくるわけで、後からほかの雄が縄張りに入ろうとすると、喧嘩をして追い払う。アリが仲間どうしで闘うのは大変めずらしい。こうしてやがて巣を飛びだした雌が、縄張りで待ち構える雄のところに下りてくれば、そこで結婚が成立することになる。
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アリも虫のいどころが悪いと刺す?
毎年、クマンバチ(スズメバチ)やミツバチに刺されてショック死をする犠牲者が、全国で数十人は出る。アリもハチと同じ膜翅目に属する仲間だから、人間や動物を刺してもおかしくはないが、日本では、普通に生活をしていて、屋内や屋外でアリに刺されることは、まずない。たまに家の中にいてアリに刺された、という話しを聞くが、それは外見がアリに似ている他の昆虫の場合が多いようである。
だいいち、よく見かけるアリのうち、ルリアリやヤマアリの種類などは、とうに毒針が退化してしまっていて刺そうにも刺せない。日本では、沖縄県を除くと、刺されて「痛い!」と悲鳴をあげるようなアリは「オオハリアリ」と「クシケアリ」しかいない。
オオハリアリの働きアリは、体長が4ミリほどの黒いアリで、北海道以外のほぼ全国にいるありふれた種類である。石の下とか朽木の内部に巣をつくっているが、巣をいじったりしない限り、まず刺されることはない。もし刺されると、ピリピリッとした痛みが電気のように走るが、ハチのように刺されたところが赤くはれたりしないし、痛みも長くは続かない。
昭和46年だったか、秋田県の花岡鉱山で、地下800メートルの坑内にオオハリアリが大発生したことがあった。おそらく坑木につかわれた用材に巣くっていたのが坑内に持ち込まれ、それが繁殖したのであろう。汗だらけになって懸命に働いている坑内で、無数のアリに襲われてあちこち刺されたのでは、いかに頑健な山の男でもたまったものではなかったろう。
もう一つのクシケアリは、働きアリの体長が5ミリぐらい、黒褐色で、九州以北の山地に分布しているが、北海道では平地にも棲んでいる。刺されると、かなりズキズキと痛いが、オオハリアリの場合と同様、いつまでも痛むことはない。われわれアリの研究者は、たいてい素手でアリの巣をいじりまわしているが、この2種類のアリを扱っていて、いつも刺されるとは限らない。刺さないコロニーでは、いくら巣をいじったところで、まったく刺されないし、刺すコロニーでは、すぐにあちこち刺されて閉口する。・・・・・・なにかそのときの生理状態によって違うのだろうが、アリに“虫のいどころ”といった感情があるとも思えない。どうも不思議なことである。
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刺されると命の保証ができないアリ
亜熱帯から熱帯地方に行ったら、まず「刺さないアリはいない」というぐらいの用心をしていたほうが無難だが、普通には指でつまむとか、巣をあばいたりしない限り、めったに刺されることはない。だが、人間の居住区にでも繁殖するような種類のアリは、しばしば人間に被害を与えるのが目立つ。
「アカカミアリ」という黄褐色の小さなアリは、熱帯地方のどこでもよく見かける種類である。この働きアリは「多型」といって、体の大きさがまちまちなのが特色で、6ミリから2.5ミリぐらいまでの範囲で大小さまざまある。欧米でこのアリを「ファイヤー・アンツ」(火アリ)と呼ぶのは、さわるとすぐに咬みついて刺し、思わず声を上げるほど痛いからである。
アカカミアリの原産地は、アメリカ合衆国南部から中米にかけてだが、交通の発達によって全世界の熱帯地方に分布した。ベトナム戦争当時、このアリが沖縄に侵入、一時的に繁殖して、一部の農家の人が被害を受けたことがある。アメリカ軍の物資にくっついて来たのであるおうが、幸い日本の冬は耐えられそうになく、永久的に土着することはできない、と思われる。
アカカミアリが困るのは、雑食性で作物の根や種子を食い荒らし、食料品にもたかることである。おまけに人まで刺すのだから、とんでもない大害虫のようだが、一方では、たくさんの昆虫を餌とするので、害虫駆除に役立っている面もある。だが、アメリカ南部では、アカカミアリと同属の土着のアリに加え、南米からも来た類似種が数種類いて、農業やその他の産業に深刻な被害を与えている。古くから調査や研究が行われているが、今もって効果的な解決策はないようだ。
アカカミアリの巣は、畑、人家の周辺、海岸などの地中につくられ、コロニーはかなり大きなものになる。自然がよく保たれた森林には見当たらないので、人間が被害を受けやすい。日本から来た旅行者は、アリがハチのように怖い存在だとは知らないので、海岸でうっかり巣の上に腰を下ろす。次の瞬間、体のあちこちを刺され、悲鳴を上げて逃げ出した、という話しをときどき聞いた。
世界には、もっと強烈なアリがいる。インドから東南アジア一帯にかけて棲息するテトラポネラは、これに刺されると息がつまるほど痛い。南北アメリカの熱帯・亜熱帯地方にいるアメリカナガアリ(ポゴノミルメックス)属のアリは、数十種類分布しているが、その内の数種類に刺されると、クラクラッと目まいがするほどだという。これらのアリは農耕地に多く、人家に侵入することもあるので始末が悪い。
横綱クラスは中南米のパラポネラで、体長2.5センチほど、黒褐色の大形種だが、その毒針は世界で最も恐れられている。知らずにつまんで刺されると、焼けるような激痛が全身に走り、しばらくの間は歩行も困難になるそうである。
恐ろしいパラポネラ |
熱帯アメリカのオソレアリ、働きアリの体長3センチもある |
同じように恐れられているアリに、オーストラリア特産のキバハリアリの仲間がいる。このアリは古いアリの祖先の性質をいろいろ残し持っていて、いわば原始的なところが興味深い。オーストラリア全土に約90種類分布しているが、主として乾燥地帯に棲息し、巣はたいてい地中につくる。なかには大形の種類のように、巣の上に土を盛って低い塚状になっているものもある。日本のアリの場合、巣の出入り口はアリ1匹がやっと通れるだけの大きさだが、キバハリアリのなかには、子どもの手のひら大の巣口をつくっているのがある。ずいぶん不用心な感じだが、原始時代のアリの巣は、あんがいこんなものだったかもしれない。
オーストラリア産の大形「キバハリアリ」の一種 |
大形のキバハリアリの働きアリは、体長2.5センチぐらいだが、これに刺されると、日本のスズメバチよりも痛く、手のひら大に赤くはれてしまう。痛みは少しずつ弱まるが1、2週間は続き、はれは人によっては2、3ヵ月も残るほどだ。もし、こんなアリに体のあちこちを刺されたら、それころ命にかかわることになるだろう。
それに、このアリはしつこい。普通のアリは巣を掘り返したりする敵に向かって、コロニー防衛のために刺したり、咬んだりする。だから、敵が巣から離れてしまえば攻撃をやめるが、キバハリアリはしばらく後を追ってくるから油断できない。こういうと、ハチの巣にいたずらして、ハチに追いかけられたことを思い出す人もあろう。キバハリアリには、祖先がハチだった時代の性質が残っているのかも知れない。ただ巣のそばに近寄っただけでも、大あごを開いて威嚇の構えを見せるなど、だいたいが攻撃的なアリなのである。
染色体が一対2本しかない「キバハリアリ(オーストラリア産)」 |
染色体が1本しかないキバハリアリの雄 |
― あるとき、ユーカリの林で、一人のオーストラリア人と立ち話をしていたことがあった。運悪くその人の立っていた所が、大形のヴォール・アンツの巣だったからたまらない、怒ったアリが足の上に這い上がってきた。彼は身長2メートルはあろうかという大男で、プロレスラーのような体格をしていたが、アリに気づくや「ウオーッ」と大声で叫んで横っ飛びに逃げ出した。雄牛のように強そうな男でも、恥も外聞もなくわめきながら逃げ出すほど、この“雄牛アリ”の恐ろしさは知られているわけなのである。
このキバハリアリについて、最近、学問上のおもしろい発見があった。シドニーにあるニューサウスウエールス大学動物学部のクロスランド君は、英本国から来ている若い研究者だが、染色体が一対しかないキバハリアリを見つけたのである。これまで染色体数の最も少ない多細胞動物は、馬の体内にいる回虫の一対2本で、これはすでに19世紀末から知られている。しかし、最近の研究によれば、回虫の染色体数が少ないといっても、それは生殖細胞だけで、体を構成する大部分の体細胞では数十の染色体に分かれてしまうことがわかった。ふつう生物の体細胞は、形の等しい2組の染色体から成っていて、一つは母親(雌)から、もう一つは父親(雄)の系統を受け継いでいる。ところが、雄アリは雌アリの半分の染色体しか持たないから、このキバハリアリの雄は染色体が1本しかない、ということになる。
このアリが発見された場所は、首都キャンベラ郊外のチドビンビラで、NASAの大形電波望遠鏡が設置されている場所として有名である。しかし、その後熱心に探索されたにもかかわらず、たった一つのコロニーしか見つかっていないので、このアリが染色体数異常なのかどうか、まだ判断は下せない*。だが、生物学的に非常に興味のある対象なので、オーストラリア、日本両国間の複雑な手続きを経て、コロニーが三島市(静岡)にある国立遺伝学研究所に送られてきた。さらに詳細な研究が進めば、学問上も画期的な事実がわかるかもしれない、と期待している。*その後の研究で、このキバハリアリはオーストラリアの東南部のアーミデールからキャンベラ、シドニーの一帯にかけて広く分布し、染色体も2本以外に4本のものも発見された。現在では、新種としてクロスランドキバハリアリと名前が付けられている。(H.I)
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アリをセックス・チェックすると
動物はたいてい雄と雌から成っているが、アリは雄と雌(女王アリ)のほかに、中性(第三の性)の働きアリがいる。中性といってもどっちつかずというのではなく。基本的には雌(雌性)である。このことは染色体を調べてみるとわかる。生物が受精すると、雄(父親)と雌(母親)から受けたそれぞれ1組ずつの染色体が合体して、細胞の中に1対の染色体を持っている。ところが、アリの場合、雄には染色体が1組しかないので、これは受精しない卵(無精卵)から産まれたものである。雌(女王)と働きアリは2組あるので、受精した卵(有精卵)から発生している。つまり、母親である女王アリは有精卵と無精卵を産み分けているのだが、それがどのようにコントロールされているかは解明されていない。
このように働きアリの性別は雌には違いないのだが、発育不完全な雌、労働専用にあちこちの器官が省略された雌、ということができよう。不完全な雌だから交尾もできないが、それでも体内に小さな卵巣がある。だから、女王アリと切り離して働きアリだけを飼ってみると、卵を1個か2個産む。むろん、無精卵なので、孵化しても雄ばかりである。このことからも、雄は無精卵から誕生することがわかる。
人間のように高等生物でも、しばしば性がどっちつかずという場合がある。産まれたときに男と判断され、ずっと男の子として育ってきたが、思春期になって女としての性徴が現れたとか、また、すぐれた女流運動選手がセックス・チェックで男とわかり、性転換したとか、よく話題になる。これがアリのような小さい虫では、あまり注意も払われないが、性別のあいまいなものが、実際にはかなり多い。
胸に大きな乳房があるのに、下半身は男性器がついている・・・・・・こういう両性具有(アンドロギュノス)(英語では「アンドロギーナス」で、最近のファッションの流行語である)の存在は古くから知られていて、怪奇派の画家の作品にも残されている。生物学では「ギナンドロモルフ」と呼ぶが、体の左半分が雄で、右半分が雌といった昆虫は多い。本来の雄と雌が似ているものでは目立たないが、チョウのように雄と雌とで翅の斑紋や色がはっきり違うもの、カブトムシやクワガタムシのように角ではっきり区別がつくようなものでは、雌雄半々といった異常型は誰の目にもつきやすい。
アリの場合、チョウや甲虫類に比べると圧倒的に個体数が多いから、異常型の発生が多いのも当然である。しかし、それだけが多い理由ではない。ふつう異常型の昆虫は、やはりその欠陥のせいか、ひとりで生きていくのはむずかしい。ところが、アリはコロニーの一員だから、働きアリが終始よく世話をしてくれる。つまり、手厚く保護されているわけで、多少の欠陥があっても生きていけるのであろう。
アリは他の昆虫と違って性が3つあるから、異常型も、
雄と雌の両性をそなえたもの
雄と働きアリの両性をそなえたもの
というタイプが産まれてくる。それも、体の前半が雌で後半が雄というのや、部分により性が違うバラバラのや、いろいろの形で見られる。なぜ、こういう異常型ができるかは、じつのところよくわかっていないのだが、理論的に考えてみれば、こういうことになろう。・・・・・・無精卵が分裂して細胞が2つになったところへ、遅れて来た精子がどちらかの細胞の1つに入り受精する。つまり、受精した“雌の部分”、未受精の“雄の部分”とができ、そのまま成長することになる。
だが、理屈の上ではこれですっきりしたようでも、実際には昆虫はこういった細胞の分裂のしかたをしない。だから、受精とは関係がなく、分裂の途中で、1対しかない雄の染色体が何らかの刺激を受けて倍加し、その細胞が雄から雌に性転換した、という考え方もできるわけである。
その他、雄と雌には翅が生えているはずなのに、生まれつき翅のないアリもいる。これはたまたま奇形として生じたのではなく、ハダカアリのようにもともと翅を持たない種類は少なくない。ことにおもしろいのは「アシジロヒラフシアリ」である。このアリは世界の熱帯・亜熱帯地方に広く分布し、人間とともにあちらこちらに移動したアリである。日本では、沖縄以南にたくさん棲息しているが、時に温帯の動植物園でも見かけられる。といっても、真冬でも暖房が24時間きいている温室内で、たぶん南方から動植物といっしょにはるばる渡ってきたのだろう。
アシジロヒラフシアリは同じ巣のなかで、普通に翅のある雄と雌に混じって、翅のない雄アリも誕生する。翅なしの雄は翅のある雄よりもずっと小形で、そもそも小さい働きアリに比べても小さいほどだが、それでも腹の先端を見ると、ちゃんと交尾器がついていて、立派に雄であることを証明している。しかし、この翅なしの雄がかなり巣にいることから、正規の雄と同時に産まれていることがわかるが、いったい雄としてどんな役割を果たしているのか、また、どうして2つのタイプの雄が混じって産まれるようになったのか、まだ飼育した記録がないので謎のままである。
それから、寄生アリの種類で「アネルガテス」のように、雄と雌だけで働きアリがないものがある。このアリはヨーロッパからアジア北部、北米の冷温帯に棲み、トビイロシワアリ(この種類は日本に多い)の巣に寄生するから、働きアリがいなくても困らないのだろう。雄には翅がないが、雄と雌が交尾して女王アリが誕生すると、また別の巣に寄生する、という繰り返しになる。雌が女王になって産卵しはじめると、卵巣が異常に発達して、まるでルイ王朝時代の貴婦人がコスチュームをまとったような形になる。
寄生アリ「アネルガテス」(左から女王、雌、雄) |
前にもご紹介したアカヤマアリは、巣内にハケゲアリノスハネカクシという甲虫類を飼っていて、その蜜を懸命になめている。しかし、働きアリが蜜をなめるのに夢中になると、子育てという大切な仕事がおろそかになり、発育不全の雌ができてしまう。こういう正規の雌と働きアリの中間的存在を「擬雌」と呼ぶが、なにしろアリは性が3つあるだけに、複雑な組み合わせによりいろいろな異常型が誕生する。アリのセックス・チェックは、なかなか一筋縄ではいかないのである。
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