まえがき
TOP > まえがき
5つかそこいらの、やっと物心がついたころ、ある日、父が数冊の本を買い与えてくれたことがあった。そのなかに「正ちゃんの冒険」とかいう漫画本があって、小人が登場する。私はすっかり小人づいてしまい、しつこく「小人を捕まえて、捕まえて」と、父にせがんだのを、おぼろげながら覚えている。
その後、父に町に連れていってもらったとき、大きな松の木の根元が人が入れるくらい広い空洞になっているところで、父は「小人はこういう場所に住んでいるんだよ。捕まえたら、弁当箱に入れて持って帰ればいいノノ」と話してくれた。それからというもの、この松の木の前を通るたびに、必ず穴をのぞいて見たものだが、ついに小人は見つけることができなかった。
やがて、いっぱしの悪たれ小僧に育って、毎日のように魚釣り、トンボ取り、コマ廻しなどに熱中し、いつしか小人のことなどはすっかり忘れてしまっていた。中学生になってからは、蝶や甲虫の採集に夢中になり、大学でも昆虫学を勉強したが、アリは形態があまり変わり映えしない(と、そのころは誤解していた)、と見向きもしなかったものだ。
私の昆虫学の恩師であった矢野宗幹先生は、卒業論文に「日本産アリ類の分類」を選ばれたのだが、その後はアリの研究からは遠ざかっておられた。しかし、晩年に至るまで、アリに関心を持たれていて、旅行にお伴した折りなど、アリを採集してはいろいろ説明して下さった。それでも、私はアリはどうも好きになれなかったのである。それなのに、戦後、ふとしたきっかけからアリに興味を持ちはじめ、アリという“小人の世界”にのめり込んで、早くも40年余りがたつ。
昭和40年に数人の若い人達と図って、「日本蟻類研究会」を組織し、特に若い人達や学生の研究心を刺激し、それを育てることに力を注いできた。幸い次世代の研究者が増えつつあることは心強い限りである。だが、日本のアリを調べていて、たいがいの人がぶつかる壁は、アリの分類がよくわからない、ということであろう。生物学でも、名前の分からないものを研究したのでは、研究の価値が大きく減じてしまう。
わが国は、「旧北区系」といってヨーロッパやシベリアなどと同系統の北方系のアリと、「東洋区系」といわれる東南アジア系のアリの混生地帯であるが、種類の数からいえば、南方系統のものが圧倒的に多い。私の関心も、次第にアリの分類に向かい、日本のアリは若い人達にまかせ、身の程知らずにも、東南アジアのアリをやるんだ、と息巻くようになっていた。しかし、今でこそ円高・ドル安で、円は海外でずいぶん使いでがあるものの、初めのころは1ドル=360円時代で、何度も心細い思いをしたものだ。
アリはミツバチ、スズメバチの仲間やシロアリ類と同様に社会生活を営む昆虫であるが、種類の数の上ではアリが圧倒的に多いし、また生活様式もきわめて多彩である。アリの生活は単なる“群れ”ではなく、情報の伝達手段がある“社会”としてよく機能しているので、研究の対象としても優れている。特に10数年前から「社会生物学」が一種のブームとなり、多くの論文が発表されるようになった。その研究は、厳密な手段と思考のもとに行われているから、昔のように、読んでいて楽しくなるような論文は、ほとんどない。こちらがよほど神経を集中してかからないと、理解しにくいようなものが多い。
この本では、そういった難解な面にはなるべく触れずに、アリの生活の一面を、いわば雑談でもするつもりで私の経験を中心に語った。気楽に読んでいただいて、少しでもアリに興味を持って下さったなら、著者としてはこの上ない喜びである。
昭和62年11月 久保田政雄
「1. アリの観察とルーツ探しで40」へ